KPOP好きの方は一度は聞いたことある凄腕プロデューサーです。
天才プロデューサーと呼ばれた彼女は、次々と人気歌手と手を組んで話題のミュージックビデオを作ってきました。
そんな彼女の正体を今回は詳しくみて行きましょう。
ミンヒジンの経歴・プロフィール
ミンヒジンの基本情報
名前:ミンヒジン
生年月日:1979年12月16日
出身:大韓民国
出身大学:ソウル女子大学 視覚デザイン学科卒業
生い立ち
ミンヒジンは、お祖父様が絵を描かれていたこともあり、子供の頃から芸術に触れて育ちました。
学生時代にはオーディオディレクターに関心を持ち、放送部で活動をしたといいます。
しかし最終的には芸術大学へ編入し、映像やイラスト、写真などを学ぶ視覚デザインを専攻。
大学在籍中に広告代理店でインターンを経験したのち、卒業後に大手芸能事務所SMエンターテイメントに入社しました。
ミンヒジンはもともとジャズなどの第3世界の音楽を好み、アイドルなどが歌うPOPミュージックには関心がなかったそうです。
たまたまSMエンターテイメントが公開採用を行なっているのを見つけて、ビビッときたのが応募のきっかけだといいます。
韓国大手事務所・SMで活躍
ミンヒジンは、新卒でSMエンターテイメントに入社しました。
当時はクリエイティブディレクターとして、衣装の発注や一部アレンジ、デザインなどの現場での仕事が中心。
過酷な現場での仕事をこなしていくうちに、コンセプトと衣装がマッチしていないこと、映像とスタイリストの連携がうまく取れてないことに気づいたといいます。
これを機にスムーズにコミュニケーションを取るための橋渡しになったり、自らスタイリングを担当。
ミンヒジンはさらに活躍の幅をひろげ、2009年にはアルバムからステージ衣装まで一任してディレクションするようになりました。
ミンヒジンが入社7年目の頃には、superjunior 「sorry sorry」や少女時代「Gee」を担当。
2017年には、平社員から取締役まで昇進するという偉業を成し遂げました。
インタビューではコンセプトを考えるとき、ファンを飽きさせないために、正反合(表と裏)を展開して考えていると回答しています。
燃え尽き症候群で退社?!
その後も彼女の天才ぶりは止まることなく、KPOPファンなら聞いたことのある名作を数々プロデュースしました。
ミンヒジンの才能が評価される一方、彼女は1日4〜5本のミュージックビデオを撮り続けたといいます。
ミンヒジンはSM時代を過ごした20代〜30代は、仕事に全てを捧げたと言っていました。
そのため休みも守ることができず、あるとき「なんでこんな苦痛を味わって生きなきゃいけないんだろう」という考えに陥ってしまったそうです。
彼女は全てを投げ捨てたいと思い、退社に至りました。
スカウトでHYBEに移籍
ミンヒジンは、退社してすぐに複数の芸能事務所からオファーを受けていました。
SMエンターテイメントを退社する際に、もう辞めたいと思っていた反面「私はまだできる」「やり残したことがある」と心の奥底で思っていたそうです。
結局エンターテイメント業界から離れることなく、初めに連絡をくれたBTS所属のHYBEのスカウトを受けます。
子会社ADORの代表に
HYBEは、2021年まで「Big Hit Entertainment」でしたが、BTSの世界的活躍によりグループ名を変更。
今では、HYBEの傘下としてBTSが所属するBig HIt Entertainmentをおきました。
同じく子会社としてLe Sserafimが所属するソースミュージック、SEVENTEENが在籍するプレディスミュージック、そしてNew jeansのアドアレーベルなどがあります。
そのうちのアドアレーベルの代表がミンヒジンです。
HYBEパク代表との内輪揉めで注目
2024年4月中旬に、ハイブ内で揉め事が起きている件が話題になりました。
ミンヒジンがアドアレーベルの株式や経営権をめぐって、HYBEのパク代表と揉めていることです。
ミンヒジンが所持している株式を、パク代表に「高く買って欲しい」との争いから話が大きくなったといいます。
詳しい内容は別の記事で紹介しているので、ぜひお読みください。
ミンヒジンがプロデュースしたアーティスト
そんな今注目されているミンヒジンは、過去にどんなアーティストのプロデュースをしてきたのでしょうか?
SMエンターテイメント時代から、今でも名前を知らない人はいない有名なアーティストたちを担当してきました。
ミンヒジンがプロデュースした人気歌手と、代表作をみていきましょう。
SMエンタテイメント時代
まずは少女時代や、SHINeeなどを輩出した韓国大手の芸能プロダクションSMエンターテイメント。
ミンヒジンは、入社7年目にして少女時代のプロデュースを一括して任されます。
ミンヒジンが任されたアーティストと代表作をまとめました。
少女時代
•Gee 2009年
•また巡り逢えた世界 2007年
•Genie 2009年
•The Boys 2011年
SHINee
•누난 너무 예뻐 (お姉さんはとても綺麗)2008年
•ROMEO 2009年
•Dream Girl 2013年
•View 2015年
•Married the Music 2015年
EXO
•Growl 2013年
•EXODUS 2015年
•LOVE ME RiGHT 2015年
•EX’ACT 2016年
•THE WAR 2017年
•DON’T MESS UP MY TEMPO 2018年
Red Velvet
•Rookie 2017年
•The Perfect Red Velvet 2018年
•Summer Magic 2018年
•RBB 2018年
NCT
•Chewing Gum (NCT DREAM)2016年
•CHERRY BOMB (127) 2017年
•We Young(NCT DREAM) 2017年
HYBE移籍後
一部サイトにはBTSにも携わったとの情報もありますが、彼女が中心となって動いたプロジェクトは見つかりませんでした。
アドアレーベル就任後には、BTSのVことテテのソロプロジェクトに携わりました。
テテの好みを反映しつつミンヒジンらしい「layover」をプロデュース。
ゆったりと聞けるソフトジャズの心地よい音楽が誕生し、話題になりましたね。
また、彼女は新ガールズグループ「NewJeans」を誕生させました。
NewJeans発表の際もカンナムの電光掲示板に予告するも、名前も顔も公開しないという新しいスタイルでファンを期待させました。
NewJeans
NewJeansは、韓国人3人、オーストラリアと韓国のハーフ1人、ベトナム人1人で結成されたガールズグループ。
そんな彼女たちの魅力を最大限に引き出したプロデューサーは、ミンヒジン。
彼女らのデビュー曲「Attention(アテンション)」は、中毒性があり注目を集めました。
2022年7月に誕生してわずか一年足らずで、世界的なアーティストまで登り詰めました。
NewJeansもコンサートで、ミンヒジンプロデューサーがいなければここまで来れなかったとも語っています。
美貌にも注目されてきたミンヒジン
天才プロデューサーのミンヒジンは、表に出ると才能だけでなく美貌も話題になりました。
日本でもKPOPファンたちの間で、彼女の美しさは度々話題になっています。
40歳にしてこの美貌が保てる秘訣がしりたいですね。
ミンヒジンの経歴|まとめ
ミンヒジンは、SMエンターテイメントで人気アイドルたちをプロデュースしたことで一躍有名になりました。
ハイブに移籍後は、新人ガールズグループを誕生させたりと活躍し続けています。
今回のハイブ内の争いで、再び彼女が注目されましたね。
2024年5月2日時点では、まだミンヒジンが今後どうなるか結果が出ていない状態。
これからのハイブとミンヒジンに注目です。